2007/07/28

クチトンネルへの旅

今日はご厚意でクチトンネル(Địa đạo Củ Chi)を案内していただきました。
中心部から車で1.5時間ほどの旅です。
途中で国道を離れ、ほとんど「街道を行く」の世界で、田んぼと集落の間を抜けると、目的地です。

入場料 70,000VNDを払うと、まずは説明ビデオ鑑賞です。日本語版もあります。
そして中に入ると…殆ど「森林公園」「自然公園」なのですが…
・完璧にカモフラージュされた入り口
普通の入り口 (リンク先は写真)
・ダミーの入り口
・蟻塚を利用した、カモフラージュされた換気口
・当時の生活を再現したモロモロ
 (例:工場、食堂、会議室、被服工場などなど)
・爆撃で出来たクレーター(そのまんま)
ブービートラップのサンプル
撃破された戦車

…えぇ、この「クチトンネル」は、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の一大拠点にして要塞です。
私もそのトンネルにもぐってみましたが、当然真っ暗です…が、案内係が懐中電灯を持って先導してくれます。中腰というか、四つん這い寸前です。たったの15mほどでしたが、これを続けていると、あっというまに腰を悪く出来そうです。
しかも、今は雨季なので、場所によっては足元がかなりひどいことになります。
しみじみと、「こんな中よう頑張ったなぁ…」という感慨に浸れます。

さて、このクチトンネル。観光客向けの射撃場があります。一発20,000VNDでライフルを撃たせてくれます(ライフルは、AK-47,M16,カービンなどから選べます)。日本では出来ないことなので、やってみました。当然のことながら、このような火器を扱うのは、生まれて初めてです。
インストラクターの指示に従って、構えて、狙いをつけて、

ドン!!
物凄い音と衝撃でした。
銃の威力と恐ろしさを身をもって感じた次第です。

参考資料はコチラ:
Wikipedia-en:Cu Chi tunnels
Wikitravel-en:Cu Chi

2007/07/27

当地の地名(通りの名前)

今日、7月27日は、「戦没者・傷痍者記念日」です。
…が、平日です。

さて、ベトナムは曲がりなりにも社会主義国家です。社会主義国家の通りの名前というと、ソ連の「どこの町でも、一番の大通りは『マルクス大通り』『レーニン大通り』と『革命広場』」という図式が想像されます。

こちらでは、たしかに、そういう威勢の良さそうな通りの名前もあります。(リンクはそれぞれWikipedia)
・Điện Biên Phư (ディエンビエンフー:第一次インドシナ戦争の激戦地)
・Cách Mạng Tháng Tám (8月革命:1945年8月の独立革命)
・Bar Tháng Hai (2月3日:ベトナム労働党(現:共産党)創設記念日)
・Cộng Hóa (共和)

しかし、圧倒的に多いのは、「人名」です。代表的なものをあげると、
・Lê Lối (レ ロイ:後記黎王朝初代皇帝)
・Lê Thánh Tôn (レ タントン:後記黎王朝5代皇帝)
・Nguyễn Huệ (グエン フエ:阮朝成立直前、清の干渉軍を破った)
・Hai Bá Trưng (ハイバチュン:1世紀に中国漢王朝に対して乱をおこし、勝利したTrưng Trắc と Trưng Nhị )
・Pasteur (パスツール:沿道に研究所があることかららしい)
・Lê Duẩn (レ ユアン:ベトナム労働党二代目書記長、ベトナム共産党初代書記長-旧南ベトナム大統領官邸・現「統一会堂」前の大通り)
・Tôn Đức Thắng (トン ドクタン:ベトナム民主共和国[北ベトナム]2代主席、ベトナム社会主義共和国初代主席)

ベトナムの人名は「石を投げればNguyễnに当たる」というぐらいなので、「Nguyễn なんとか」通り がやたらと多いのであります。そのため、「あれ?Nguyễn何通りだっけ??」という事態によく陥ります。
あるとき、暇に任せて、通りの名前の数を調べてみたことがありますが、その結果、
・Lê :31
・Trần :45 (Trần王朝)
・Nguyễn :100以上(数え疲れた…)

…もう、訳がワカリマセン。

2007/07/26

雨季

当地は雨季です。
一日のパターンとしてはこんな感じです。

・朝:曇りor晴れ。グングンと気温は上昇します。
・昼:引き続き気温も湿度も上昇します。日差しは「暑い」を通り越して「痛い」となります。
・昼下がり:だんだんと黒い雲が空を覆い始め、曰くありげな風が吹き始めます。
 このような状況になったら、コトはもうすぐです。外出は控えるか、退避場所(カフェの屋内席)を探しましょう。
…そして、激しいスコールが始まります。多くの場合、雷と強風を伴います。日本でしたら、アメダス赤は避けがたいような、バケツをひっくり返したような雨になります。

建物の軒下は「避難場所」に、街路樹(あれば)下は、合羽装備のための「ピット」と化します。


・スコール後:多くの場合、気温が急激に下がり、心地よい風が吹き渡ります。慣れればエアコン無しでも熟睡できるほどの快適さです。
 ただし、稀に風が吹かない時もあります。その時は、不運と思ってあきらめましょう。蒸し暑いことこの上ありません。

…問題は、時としてスコールが退勤時間帯にかかることです。タクシーは捕まらず、バス乗り場には屋根は無し。さらに道路は大渋滞。帰宅への長い道となることがままあることです。

しかし、高層建築の少ない当地では、遠くの雷まで良く見えますので、その有様を見るのは、それなりに美しいものです-停電しなければ。

2007/07/25

日本食事情

当地には、結構たくさんの日本食レストラン(飲み屋)があります。
日本人率の高い Lê Thánh Tôn (レタントン)通りには、日本食屋・日本食材店が軒を連ねています。
広島風お好み焼きから赤提灯、全うな魚料理まで、たいがい揃います。
また、中心部・観光名所のĐồng Khởi(ドンコイ)通り周辺、Hai Bá Tưng (ハイバチュン)通りにも、日本食屋が多くあります。
寿司・テンプラにいたるまで、たいがい揃います。

確かに、中には明らかに「異常進化」を遂げた「日本食」も存在します。ま、観光のネタとしてはアリですが、日常生活を送る分には相当に支障があります。

そんななかのとある広島風お好み焼きの店、日本人向けを通り越して、広島人向けという、非常に狭いキャンペーンを打っています。
「カープが勝った翌日は生ビール一杯無料!」
オヤジの趣味というか意地というのは判るのですが、余りにも狭い範囲を狙いすぎです。
それではイカンとオヤジも気づいたのでしょうか、或いは最近のカープの不甲斐無さによるのでしょうか。キャンペーンを拡張しました。
「巨人が負けた翌日は生ビール一杯無料!」

「広島ファン」から「アンチ巨人」に間口を広げた…って、余り広がっていない気もしますが。
しかし、広島が勝って巨人が負けると、なんと!二杯無料!
そう考えると、なかなか豪気なキャンペーンです。

しかし、全ての日本食屋には、共通の問題があります。
「高い!」
地元メシと比べて高い、これは致し方の無いところです。
が、他の外国料理-たとえばイタリアン-と比べても、あからさまに高いのです。
したがって、特別な慶事、日本からの来客、付き合い、こういう事情でもないと、夜の日本食というのは、もはやありえない感覚となりつつあります(週に一度、割烹料理屋のランチに行くのが「贅沢」というもんです)。

2007/07/24

ベトナム語を入力するには

ちょいとヒマがあったもので、調べてみました。
手元で自由になるマシンがVista-Ultimateだけ(というか、それしか日本から持ってこなかった)ので、それで実験してみました。

[コントロールパネル]→[地域と言語のオプション]→[キーボードと言語 Tab]→[キーボードの変更 ボタン]です。
「全般」タグで表示されている「インストールされているサービス」の「追加」ボタンで追加します。アホのように各言語が並んでいますので、がんばってベトナム語を探してください。
ベトナム語の中に、"US"と"ベトナム語"がありますので、ベトナム語を選んでいただければ、こんな風になるはずです。



で、どう切り替えるか?デフォルト状態ですと、[左Shift]+[左Alt]で切り替えです。各言語を順番に回っていきます。必要に応じて、「詳細なキー設定 Tab」にて設定してください。

どうやって入力するのか?上のツリーで「プロパティ」ボタンをクリックすると、キーボードマップのボタンが表示されます。


コレを元に、がんばって入力してみてください。そんな私はいまだにếの入力方法がワカリマセンです。

いずこも同じ、Geekな風景

職場で、メモリを手渡ししている人がいました。何をしゃべっているのかは判らんのですが、
「うーんxxのxxMByteだろ、書いてあるじゃねぇかよ。」とか、そういう会話をしているようです。
そして、一人が自分のPCのフタを開けてゴソゴソと…(っていうか、電源コード抜けよ…)

そのとたん、「ちょっと、私のメモリ取らないでよ!!(推測)」と抗議の声が。
それをめぐって、しばし紛糾。おそらく
「ちょっとテストするだけだからいいだろ」「そうやってこの間も持っていったじゃない!」など、楽しいやり取りが生じていたのでしょう。

結局奪い取って、差し込んで、起動。
…悲しくBIOSのBeep音が鳴り響きます。
そのとたん、数人がニコニコしながら群がる図が展開されまして。
最終的には、めでたく、先ほど抗議した人に「返品」とあいなりました。

いやぁ、Geekという人種は、どこでも同じなんですなぁ。

OS事情

こちらで最も普及しているOSは、どうやらWinXPのようです(サーバー系は知らんですが)。
色々なシステムがXP上で稼動しています。空港のチェックインシステムがXP+Excel VBAという噂もありますが、まだ確認していません。

また、Win98等の古いものも、まだ大事に使っている人も多いようです。
ウチの大家さん(というより、管理人さん?)は、古い98機を未だ大事に-非稼動時はカバーをかけて保存するほど大事に-使っています。

そんな中、先日、某5つ星ホテルのビジネスセンターを覗き見する機会がありました。
…さすが5つ星ホテルです。全機、 Vista Ultimate + Office 2007。
思わず「すげー」とうなってしまう光景でした。

なお、上記のOSは、全て「英語版」です。これにベトナム語キーボード設定をして、ベトナム語対応は出来上がりであるようです(もちろん、英語101キーボードです)。

※街中でMacOSを見かけたことは未だありませんです、はい。

2007/07/22

バクダン

バクダンといっても、別に"bomb"でも、Mac OS のアレでもありません。安酒でもありません。

当地では、"Bach Dang"という名前の付いたものを見かけることが、ままあります。
たとえばコレですね。


これは、Le Loi (レロイ)通りと Pasteur(パスター パスツールと読みそうになる)通りの交差点にある、ガイドブック級に有名なカフェです。

そのほかにも、中心部に"Bach Dang Hotel"があります。多くの日系企業が「社食」状態で使用しています-日本食基準の普通の値段で割と普通の日本の味(←褒め言葉)、盛りが良い日本食レストランです。
また、Saigon川には"Bach Dang 埠頭"というのもあります。

一体なんなんだ?と思って調べてみました。…えぇ、ヒマなもので。
当地の歴史博物館とWikipedia(en)で、答えは明らかにされました。
西暦938年(日本では平将門の乱の最中)、紅河デルタ(現在のハノイ-ハイフォンの区間)の一支流"Bach Dang"川にて、中国-宋王朝との戦いがあった場所です。これまで、イロイロとありながらも中国歴代王朝の支配を受けていたベトナムが、この戦いで独立を決定的にし、一線を画した歴史を歩むことになる、そういう転換点だったわけです。

ロシアの「アレクサンドル・ネフスキーの氷上の戦い」「ドミトリー・ドンスコイクリコヴォの戦い」、イベリア半島のレコンキスタ、アメリカ独立戦争、そんな位置づけでしょうか。

当地市内の地名も、そういう歴史地名がむやみやたらと多いわけですが、それについては追々。

ホーチミン と サイゴン

当地の行政地名としての正式名称としては、Thành Phố Hồ Chí Minh(ホーチミン市)です。略して"TP. HCM"、或いは単に"HCM"です。英語では"HCMC"と略します。命名の由来は言うまでもなく、Hồ Chí Minh主席です。

これに対して、旧名はSài Gòn (サイゴン)です。ま、St. Petersburg を Lenin にちなんで Leningrad としたようなもんでしょう。

さて、当地でも、Sài Gòn という呼称は普通に使用されます。たとえば
・Tân Sơn Nhất(タン ソン ニャット)空港のIATAコードは"SGN"です(間違ってもHCMではなく-ソマリアのEli空港になってしまいます)。
・当地で庶民が愛飲するビールの一つが"Bia Saigon"
・1区のBến Thành(ベンタン-"ベンタイン"は北部読み)バスターミナル方面行きのバスがよく"Sài Gòn "と表示
・国営旅行社は"Saigon Tourist"

つまり、"Saigon"の呼称も非常に一般的に使用されているわけです。
ではドコが違うのか?どうも、
・HCM=Saigon →市の中心部(旧市街に相当する地区)
・HCM≠Saigon →それ以外
ということのようです。たとえば、行政地区としては同じTP.HCMに属する繁華街であるChợ Lớn(チョロン)地区を"Saigon"と呼ぶことは極めて稀なようです。

なお、"Sài Gòn"と二音節に分けて書く(国語的にはこっちが正解)か、"Sàigòn"と続けて書くのかは、まちまちです。英語・仏語表記では"Saigon"です。

つまり、東京のことを江戸と呼ぶことはあるけど、三多摩や世田谷、大田、江戸川、江東、足立のあたりを「江戸」というのは如何か…というような感覚でしょう。

暑さ

初めて当地のTân Sơn Nhất(タン ソン ニャット)空港に降り立った時の第一声は、あづっでした。
そして、出歩いてみると、みるみる滝のように汗が流れおち、そして、汗が止まり…。えぇ、熱中症寸前でした。

そりゃそうです。北緯10度です。熱帯気候です。平均湿度75%、月平均最高気温が30度を、月平均最低気温が20度を下回ることのない国です。

こればっかりは慣れるしかありません。

そして、慣れてしまいました。
徐々に就寝時のエアコンが「寒い」と思うようになり、さらには「今朝は寒いなぁ…」と思って外出したときの感想が「鍋に熱燗って感じかな…」。

実はその時の気温が28度…これでも「寒い」と。なれというものは恐ろしいものです。冬に帰国したら、一体どうなってしまうんでしょうか…

交通事情


さて、このホーチミン市、人口600万都市です。首都ハノイ(300万)を軽くしのぐ、ベトナム最大の都市です(もっとも、面積も倍以上ありますが…)。600万というと、ざっと千葉県ぐらいの人口ということです。都市圏ということで言えば、福岡ぐらいの規模でしょうか。

さて、この600万都市、公共交通機関は
「路線バス」
しかありません。したがって、朝夕は激烈な交通戦争が繰り広げられるわけです。
写真は、空港のあるTan Binh区から中心部1区,3区方面に向かうNguyen Van Troi通りの様子です。
バイクに荷物を積んで、あるいは2人、3人乗りで、「ドケドケ!!」とやりあうわけです。市内ではヘルメットは義務ではありません。(12月から義務化されるという報道がありますが、全然守られないでしょうね…)。

信号はありますが、基本は常時右折可(日本では「左折」)。しかも「赤は根性キメれて突っ込め!」な走りなので、油断も隙もあったモンではありません。

したがって、当地に来た外国人が最初に学ぶべきことは、ベトナム語でも両替でもなく、「道の渡り方」なのです。現に、市の中心部では、まごついている外国人観光客を公安(警察)が誘導して渡らせている姿を良く見かけます。

Vietnam IT事情

と、言うわけで、訳のわからないままベトナム、ホーチミン市に飛ばされてしまったわけです。
まぁやることも無いので、日々の駄文でも書き連ねてみます。

国の基本情報の類は、Wikipediaでも見てください。場所が分からないなら、Live SearchGoogle Mapでも見てください。

さて、当地のIT事情はこんな感じです。
・街のあちこちにネットカフェがあります。
・ADSLやWiFiが結構普及しています。
・お決まりのように、ネットを使用した犯罪もイロイロとあります。

でもって、仕事という観点で眺めると、別の観点があるわけです。
・よく停電します→UPSは必須(プロジェクターに至っては「内蔵」型しか売っていません)
・ベトナム人にとって、英語は必須です(ベトナム語の技術リソースなんてあると思う?)
・したがって、仕事上のコミュニケーションは英語が主になっています
・国外、特に日本への回線速度は非常に遅い(米国もいい加減遅いけど)
・日本のサーバーから大容量ファイルをダウンロードする羽目になったら、煙草タイムです。

さらに、Geekという視点で眺めると
・ノートPCも結構普及しています。メジャー所としてはこんな感じでしょうか(順不同)
 Dell, HP, Toshiba, Acer, 旧IBM
・デスクトップは「自作系」なモノが主流です。(世界級大手メーカー系PCは余り見かけない。)
・例によって「海賊版問題」は、そりゃぁもう…

そんな街です。